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作り手のハートの入ったおいしいものをいつも、求めています。
玄人の技術には感心しますが
半人前の努力も魅力の一つと思っています。

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2010年5月

2010年5月30日 (日)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その29

 研修旅行あと、スタッフとの温度差は変わらず、こちらから目先を変えて

このメニューをしたいと提案して、日替わりのお勧めに載せたりするがいつ

の間にかメニューから消えていた。言ってみれば、スタッフから発せられた

メニュー以外は根ざさないようになっていた。「厨房は任せた」と言った手

前、色々、口出しするのも気が引け、「なにか、手伝うことある?」と聞い

ても「大丈夫です」という言葉が返ってくるだけだった。その意味が分かっ

たのが厨房を任せていたK君が辞めてからで、どこの位置で肉を切っていい

とか、ここは魚、野菜、スポンジの色で洗うものを変えていたりとか、細か

い配慮がなされていた。まな板を変える事くらいは当たり前に思っていたが

この狭い厨房・冷蔵庫で細かい決まりがあり、それを知らない自分が厨房に

入ることを嫌った節があった。

2010年5月29日 (土)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その28

 大阪・梅田からバスにて伊丹空港まで行き、お土産を買うなどして、出発

までの時間を潰し、最終の東京行に乗り込んで帰路に立った。思い返してみ

れば、目線の位置の違う人たちとの共有など、ありえるはずもなく、東京に

帰ってから、「あそこのあの料理、良かったね」と言っても「冷蔵庫がいっ

ぱいで違うメニューをやるのは無理ですよ」と返ってくる。すぐ、メニュー

に取り入れようと思っているのではなく、見てきた人、食べてきた人の財産

になると思っての提言であるが新しいものをやるにはもっと、思い切った改

革が必要と感じた。大手水産会社Nの社員はだいたい、3年で転勤させると

聞いた。ほとんどの社員が転勤族となるため、その費用は並大抵の金額では

ないが、大ナタをふるって、社員を動かさないと会社が腐ると判断してのこ

とと聞いた。お手盛りの研修旅行?(慰安旅行)で生まれるものは何もなか

った。どうせなら、5万円づつ、配った方がまだ、効果があったのではと今

も悔やんでいる。

2010年5月28日 (金)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その27

 なんばにはその当時、食い倒れで有名な人形も健在でとにかく、たこ焼き

屋の多さでは日本一番のストリートで三軒のたこ焼きを堪能した。ビールも

残すほどでお腹は一杯になり、散歩がてら、法善寺横丁や吉本の花月劇場を

外から見た。吉本新喜劇に入るには予約が必要で事前に試みたが、満席との

返答が返ってきた。歩きながら、通天閣へと思い、歩き出したものの、土地

勘のない自分らは結局、タクシーに分散して新世界に到着した。通天閣に上

るかと思ったが梅田のスカイビル「空中庭園」を見ているのでもう、高いと

ころはいいかな?と串かつ屋に入ってそんなに空いていない腹に「名物だか

ら」とひとり、3本も口にして、「二度付け禁止」を体験した。このあと、

新世界見物と洒落込もうとしたところ、突然の強い雨で串カツ屋の軒先で雨

宿りするはめに。やっと、タクシーを見つけて、再び、なんばへと向い、駅

周辺を散策して、帰りの飛行機までの暇を潰すことにし、雨の大阪城など

考えることもなかった。

2010年5月27日 (木)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その26

 大阪・新阪急ホテル前のビジネスホテルに宿を取り、京都でたらふく食べ

たというのに大阪の名物?「がんこ寿司」さんへ夜食がてら、寿司や刺身を

食べ、もうこれ以上食べられないとお開き、ホテルに帰ってビール片手にこ

れからの店をどうするか?なんて、いい加減な演説をぶって、深夜まで泥酔

し、あくる日の昼前に大阪のなんばまで地下鉄で向かった。行く先はその当

時、アミューズメントのSが運営していた「戎橋極楽商店街」。名物のレビ

ューあり、昭和の縁日、大阪名物がぎっしり、詰まったアミューズメントパ

ークで以前、大阪の友人に連れられて来て、今回でなんだかんだ、4回目の

来場となる。大阪でしかできない、参加型の施設で大いに勉強になったし、

みんなにも感じ取って欲しい「サービス精神、いっぱいの芸人たち」と洗練

されたダンサーが繰り出す、空中レビューには見ごたえがあった。

2010年5月26日 (水)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その25

 大阪・伊丹空港に横付けされた「MKタクシーのワゴン車」にさっそうと

乗り込み、豪華研修旅行の始まりだ。ドライバーの方は見る限りに男前で京

都弁よろしく、非の打ちどころがなく、的確な案内とどこを見たいのか?と

いうリクエストに答えてくれた。最初は嵐山でニシンそばを食べて、天竜寺

を拝観、絶対欠かせない、金閣寺の穴場のスポットをプロらしく、教えてく

れる。金閣寺を見たら、銀閣寺。南禅寺散策にに祇園、武豊邸、清水寺、

八坂神社、祇園祭と半日の観光が終わり、4万円の料金のほかに、謝礼まで

用意したい心地よさで、MKタクシーとはお別れした。そのあと、八坂神社

すぐそばの店を事前に予約していたのですんなりと夕食会が始まり、各々

好きなものを頼むという贅沢さで満喫し、そぞろ歩きの鴨川べりを楽しみ、

そのまま、京阪電車で大阪へ移動という、フットワークの良さに自分自身

酔いしれていた。

2010年5月25日 (火)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その24

 研修旅行は海の日を絡めていたので、7月19日の出発だったと思うが

前日から日本列島をすっぽり、包むような大型台風が接近し、深夜のNHK

では台風情報を連続で放送しており、明日の出発の見込みは薄いと思いなが

ら、台風情報に見入っていた。朝になってから、ANAに問い合わせたとこ

ろ、まだ飛ぶか、確定していないとのこと。今なら、ツァー代金、全額を返

金するとの返答で言ってみれば、これが愚策を回避する最後のチャンスであ

ったのだ。しかし、そうとは思いつかずに雨のさなか、羽田空港に行ってみ

ることにし、参加予定のメンバーにも伝えて、ANAのカウンターで待ち合

わせることにした。いざ、ANAのカウンターに着いてみると「飛ぶ」との

ことで大雨の中、目指すは大阪・伊丹空港までわずか、一時間と少しのフラ

イトとなった。

2010年5月22日 (土)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その24

 研修旅行について、スタッフ側からの希望は一番が「沖縄」であとは

大差なく、どこでも良い感じだった。せっかく、温度差を縮めるには自分が

過去に行ったことのある地域に限定することに意味があると思い、クオリィ

ティーが高くて、記念になる行事が行われている所をインターネットで探し

てみると日程的に「京都・祇園祭」が目に飛び込んで来た。京都は何回か行

ったことがあるが「京都三大祭り」は見たことがなく、その日の泊まりを大

阪にすれば、思っている以上に費用は掛からなかった。しかし、普段は体験

出来ないクオリィティーにはそれなりの費用は目を瞑らなくてはならない。

みんなと相談の上、「京都・大阪」と決めて、飛行機を利用する大名旅行と

なった。日程は詳しく覚えていないがその年の7月に日本全土を襲う、大型

の台風が接近していた。

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その23

 スタッフとの温度差を近づける「愚策」とは自分が経験して、感動した物

を見たり、名物を食べたりして「こんなことに感動しているんだ」と語らず

に伝えたいと思った。そんなことから「利益」も出ていないのに「研修旅

行」を企画したのだ。まずは、株主にことの起こりを説明し、温度差がなく

なれば、スタッフからもっと、やる気を引き出すことが出来て、必ず、利益

が出ると説得した。株主らはそれならと納得し、快諾をしてくれた。

今に思えば、愚策と反省し、もっと、煮詰めるべきものがあったことを高額

の研修旅行で教わった形だ。愚策となると思ってもいない研修旅行の案を練

っていくにはそれなりに、楽しかったし、スタッフの意見を取り入れて、

普段ではいけないところに行きたいとの案が大半を占めた。まず、行ける人

数、人員を選択し、参加費を一律、10000円としてその当時、8人いた

スタッフのうち、自分を含めて6名にて「研修旅行」に行くことが決定し

た。

2010年5月21日 (金)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その22

 結局、六本木の師と仰ぐ、割烹の名店で送別会が行われることになり、

自分には「大人の対応」が求められた。いわゆる株主が費用の半分を

負担するということで当日は和やかに会を終えることが出来たが

このあと、株主が実質の社長であるという固定観念を社員に植えつけたよう

で指示系統がやりにくくなった。社員は子供のようなもので「親父である、

自分」が育てなければならないと気張っては見たものの、株主が言ってみれ

ば、おじいちゃん役をしているので、どうしても社員に甘くなり、「おや

じ」は孤立した状況になってしまった。自分としてはこの「温度差」を

より、近くする為にと愚案を考案してしまった。

2010年5月20日 (木)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その21

 スタッフとの不仲があからさまになったのはひとつの事が原因となった。

オープニングから勤めたスタッフが就職することになり、2007年の6月で

店を退店することになった。北海道の釧路という土地に片親で育った彼を

いとおしくも思い、その当時、築地でうまいと評判だったすし屋へ行き

彼にたらふく、すしをご馳走したくて、二人だけで出かけた。

そのあとから、ちゃんとした、送別会をやりたいとスタッフから相談が

あり、早く店を閉めた夜に、すしやピザの出前を取り、車で通勤してい

るスタッフはノンアルコールで送別会を行ったが再度、シフトに入ってない

メンバーや関係者を呼び、送別会をやりたいと厨房のK君から話しがあった。

これには自分は反対して三度も彼のために費用を使うことは出来ないと

つっぱねると「出資者も来たいと言ってます」と話はやるほうに

傾いていた。会費制など頭にはないらしく、費用はまた、会社負担と

なり、冬の間は忙しく、利益も上がったものの、この春からはきびしい

状況で夏ともなれば、赤字は避けられない状況下にあったから、

自分としてはたまらない心持となった。

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