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作り手のハートの入ったおいしいものをいつも、求めています。
玄人の技術には感心しますが
半人前の努力も魅力の一つと思っています。

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2010年4月

2010年4月29日 (木)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その10

 今日は祝日なので、番外編です。店が休みなので日頃、溜まった事務仕事

を消化しようと書類のコピーに秋葉原の印刷に行きました。ひたすら、コピ

ーをしていたら、「shigeshigeさんですか?」と尋ねられ、あらっと思った

ら、「船橋、火鍋と四川料理の店・三国」のマネージャー「シャンチーさ

ま」でありました。またまた、ひょんなところでお会いして「ご縁があるも

んだと」思い、近いうちに必ず、「三国」さんにお伺いしなくてはと心に誓

ったshigeshigeでした。ちなみに、自宅マンションに置いておいた自転車が

日曜日の深夜、盗難に会い、今日、仕方なく自転車を買いました。そういえ

ば、シャンチーさまも自転車を盗まれて、給付金で買ったそうな!確か、そ

うでした。

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その9

 困り果てた Oは支店長に相談することもなく、自分に電話を掛けて来て

クレームの対応をお願いしたい」と言ってきた。よくよく、聞いてみれば

こちらに非があり、どう答えたのかと尋ねると、「もう一度、来店して頂

き、挽回したいと言ったら」、「俺は東京に居たとき何度も利用させてもら

って、たまたま、東京で友達と会うことになって、いい店を紹介すると、楽

しみにして来店したのにあの対応ですっかり、友達の信用を無くした。貴重

な時間と俺の信用をどうしてくれる!誠意を見せろ」という内容だ。

この業界のクレームで「誠意=お金」になり、こちらが代金をもらっている

のがやっかいな原因でもある。このような時は土下座してでも、料金を貰わ

ないこととが一番で、お客様が来なかったことにしてしまうことだ。

小額でも提供していない商品の代金を貰ってしまったのはレジを担当した

スタッフのミスと提供しなかったことを自分のことだけにしまっておいた

O の最大のミスである。防げる方法は小さいクレームでもスタッフが共有す

ることしかない。今回は利益に走り、スタッフの能力以上のお客様の数を

いれたこともミスの原因だ。ということはミスが幾重にも重なるクレームの

雪だるまをこしらえてしまったのだ。

2010年4月28日 (水)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その8

 両国の店のクレームは冬の繁忙期に起きた。ことの起こりは2名様がご来

店、カウンターに通されビンビール1本ともつ鍋を注文、ビールはすぐに出

て来たものの、もつ鍋は何分待っても出てこない。オーダーを取った Oが厨

房に通すのを忘れたのが原因だ。そのお客さんがOに催促したところ、「申し

訳ございません」とビール1本をサービスに出したという。その後、Oは2階

のフロアーから3階に上がり、また、オーダーをそのまま、忘れてしまった

のだ。ビールを1本サービスされたことで「まさか、2度も忘れないだろ

う」と催促しないまま、30分過ぎ、他のスタッフにどうなっているのか?

聞いたところ、注文が入っていないと言われ、お客様が「キレタ」ことに始

まる。そのお客様はビール2本と食べていないもつ鍋の代金を支払い、携帯

の番号を紙に書いて手渡し、「責任者から説明してくれるように」とレジで

会計をしたスタッフに告げて帰った。ことの起こりを会計を担当したスタッ

フから聞いた Oは自分の力で解決しようとそのお客様の携帯に電話をかけ

て、謝罪したが「お前が責任者か?」と問われ、「いえ、その・・・と」

黙ってしまった。そこでお客様の感情は逆撫でされ、「責任者に電話するよ

うにと伝えたはずだ。」と怒りは頂点に達してしまったから、もう収まりも

つかない。その事件が起きる前に、責任者である、自分に電話に出ない件

で叱責を受けていたものだから、、ヘルプを仰ぐことも、思いつかず、泥沼

に、はまっていった。

2010年4月26日 (月)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その7

 ある日の午後9時頃、社長のTから築地の店に電話があり、Oが階段から落

ち、救急車で亀沢の病院に運ばれたということだ。なにわともあれ、タクシ

ーで病院まで向かい、ことの経緯も念頭に入れて状況を把握しなくてはいけ

ない。病院に着くと腕を吊ったOが半分、泣きべそをかいて、「自分で良かっ

た」となんども、つぶやいていた。両国の店は2階と3階に分かれていて、

いわゆる、ダムメーター(料理専用のエレベーター)は設置されていなかっ

た。運ぶには人海戦術で運ぶしか方法がなかったから、Oは前からダムメータ

ーを取り付けるよう要請して来ていた。しかし、建ってから20年以上立つ

元は医院の建物に新たに付けるとしたらおよそ、100万円はかかる工事

だ。100万円分の粗利を確保するに、両国の店では半年はかかりそうだ

し、会社側としてはとなりの小さいビルも購入済みでゆくゆくは、合わせて

本社ビルを建てる計画もあった。いまさら、何年かうちには壊す物件などに

100万円を投入するはずもなかった。その前にもOが要求したのは2階と3

階の引き戸の自動扉化だった。理由は荷物を持ちながらも自由に出入りでき

るということで、現在は仕方なく足で開けているとのこと、一度、荷物を置

けばいいものをと自分は考えるし、足で開けるとは何ごとかと思う。

すべての理由は合理化ということだが、行儀を魅せるのも接客と思うのは

間違いだろうか? その後、今度はお客様からのクレームでひと悶着が

起きた。

2010年4月24日 (土)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その6

 営業中に電話に出ないなど、到底、信じられないことで増してや、受話器

を上げているという行為は、いつも話中の電話で店が混み合っていることを

嘯くようなものだ。確かに目の前のお客様は大切だが、店はもっと、大きな

スパンで稼動すべきで店の都合だけを考えては将来も今もない。「人が少な

ければ、人件費が安くて、利益が出る」と言われたときには「Oには何か悪い

ものが取り付いているのではないか」と疑ったほどだ。まだ、Oが出入りの食

器屋の頃は家族同士で千葉・千倉の旅館に家族旅行をしたほどの付き合いで

今のOの行動、言動はは信じ難いもので、その荒み方にはやはり、理由があっ

た。彼は離婚をしたばかりで、去年、買った一軒家は奥さんから「慰謝料」

代わりに取り上げられ、ローンは払っているものの、彼自身は追い出された

格好だ。そして、うちの娘と一日違いの誕生日の娘さんは奥さんが引き取っ

て、マイホームの実現から、奈落の底に落とされ、幹部社員になる希望も途

絶えた。ならば、利益を上げて再度、社員の道を開こうとしたのか?本人の

口から聞くこともなかった。そして、そんなやり方の果て、事故が起きた。

(以下次号)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その5

 クーデターのメンバーの期待はまったく、はずれて、社長である彼は

本社の担当役員に相談し、一喝され「バイトごときが氾濫を起こすとはなに

ごと、掌握できない、支店長を首にしろ」と返されてしまった。

社長の彼は慌てて、両国の店に出向き、首謀者のOに幾分かの金を払うこと

で退職してもらった。そして、支店長以下の処分は自分の預かりとなり、K君

に関してはお咎めなしでそのまま、厨房のサブリーダーで支店長は料理長に

降格させた。当面は支店長なしとして、ホールでリーダーを出来るスタッフ

を築地店から一名出し、両国のホールスタッフは日替わりで築地での研修

と称して築地のスタッフと働かせて、接客を一から学ばせた。そのことで

二つしかないチェーン店は次第に接客の差が埋まっていった。

両国の店のホールスタッフは一人のダブルワークの女性を除き、全員が

女子大生で友達の紹介の輪が大きくなった。容姿も良くて、女の子目当てに

通ってくるお客さんもいたほどだから、レベルは高いが接客のレベルはいま

いちと期末試験の日などがほとんど、重なってしまい、スタッフがぐっと

薄くなる日もしばしばで、両国の店の電話がぜんぜん出ないと築地店に

クレームがあり、調べたところ、電話に出る余裕がないので受話器を上げて

いたとOからの返答だった。道のわからない来店のお客さんや予約の電話を無

視することで店を回していたとOから言い訳があった。

2010年4月23日 (金)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その4

 両国の店のスタッフ造反という、もうひとつの要因は自分と社長の仲がよ

ろしくなかったことも挙げられる。社長は就任してまだ、3月も立っていな

いうちに自分と会議の席や方針について、しばしば、ぶつかることがあり、

そもそも、本社からの天下りで社長になった彼は店の運営より、本社のご威

光を気にすることから、飲食店のような「泥臭い」仕事を理解できないこと

も、私とぶつかる要因だ。本社の役員もそんなことはとうに、予想してい

て、自分を本部付きの統括マネジャーにまで特進させ、社長に意見を言える

立場にさせていた。そんなことから、私と社長の溝は深いものになってい

て、それを見た両国組が社長の力を利用して、自分を失脚、または両国店を

本店から束縛されずに運営して良いというお墨付きを貰えると思ったのだろ

う。特にOについては、もともと、出入りの食器屋の営業マンで前の本部長と

同郷、同じ中学出身ということで引き立てられ、まずはアルバイトとして

うちの会社に入って来ていて、いずれ、社員になり、本部に迎えられる予定

だった。しかし、分からないもので、前の本部長が売り上げ低迷の詰め腹を

切らされ、退職したことから、未だに社員に登用されず、宙ぶらりんの状態

で今回のクーデターの首謀者となっていった。

2010年4月22日 (木)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その3

 彼らの言い分は「築地の店のお客さんと両国のお客さんの層や客単価が違

うのに同じコースを押し付けてくる」や「色んなものをやらないでもっと、

もつ鍋に特化すべきだ」など、見方を変えれば正論と言えるが「攻めていく

経営」をしていくには「ぐるなびのようなネット媒体」や飲食店を紹介する

有料のフリーペーパーに掲載するなど、広い範囲で顧客を拾っていく必要が

あり、単店で行うよりは2店舗で行った方が費用の負担も軽くなるので掲載

は毎月実施していた。極端に内容が変わる訳ではないがその時の特別コース

としていわゆる、松・竹・梅として三者選択で予算によってコースが3種

類、店のコースとして常に盛り込まれていた。まさか、客単価が違うからと

いって、同じ商品を提供して、両国店のみ20%OFFなど盛り込める訳がな

い。そしたら、同じ料金をもらえない理由もあるのかと疑うのが自分の仕事

だと思っていた。結局、両国の店は独自のコースを三種類、自分の許可な

く、実施していたから、料理のコースが6通りになっていて、しかも、スタ

ッフへの教育にしても、両国の店が正統であることを朝礼で宣言し、自分た

ちの義を貫いたつもりだった。まあ、そもそも、両国の店の方が最初に出来

て、素は本店であったが築地の店の規模の方が大きいことなど、店格を考慮

して後から出来た築地店が本店となり、そこの支配人をしていた自分が両国

店も支配下に置き、総支配人となったことも反発のひとつと言える。

2010年4月21日 (水)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その2

 以前、勤めていた会社は博多名物の辛子明太子を主として財をなした会社

でその博多に特化した製品や飲食の店舗を展開していた。そのひとつが

「博多もつ鍋専門店」であった。最初は東京・両国の一角に1号店を構え、

静かなるブームが訪れる中、銀座の「G」と共にブームを牽引し、長いスパン

でブームよりも、「博多の名物」をもって老舗と成す事をこと目指していた

がバブルの崩壊により100席以上の大型店が「もつ鍋」にあやかろうと渋

谷のセンター街を中心に「もつ鍋専門店」が連立していった。これが「第一

次もつ鍋ブーム」であり、粗悪品の「もつ」を使用した店が大半であったこ

とや「マスコミ」の記事により、もつ鍋を食べると「痛風」なると掲載され

た時から、一気にもつ鍋人気は急落し、「もつ鍋専門店」のほとんどは終焉

を迎えた。しかし、当時の最悪の事態を乗り切り「両国」の店は生き残った

のだがどこで、どう間違ったのか「クーデター」が起こってしまった。一番

の要因として考えられるのが、その店はもともと、会社の独身寮として使用

しており、独身寮が廃止された後もその店の4階にはベットなどが置かれた

ままで繁忙期の忙しい折、支店長であったSやO、そしてK君もほとんど、家に

帰らず、そこで寝泊りしていた。どうしても、つき物なのが店、閉店後の食

事と共する飲酒であったようだ。毎日、三人で飲み食いしていくうちの話題

は仕事の内容がほとんどで、いろいろな不満が直属の上司である私にお鉢が

回って次第に膨らんでいったと考えられる。

2010年4月19日 (月)

「なんで私が厨房に?」 築地いなせや 2010年 4月からの改革 その1

 去年、9月に入って、オープンニングからいなせやの厨房を任せていた

K君が将来、自分の店を持つために、もう一歩、踏み込んだ修行をしたいと

申し出てきた。言ってみれば、違う店を経験したいということだ。彼との付

き合いは10年前、高校生の彼が以前勤めていた店にアルバイトとして入店

した時から始まった。その頃から、手取り、足取りで刺身のつまの盛り付け

など、教えたのが始まりでその後、彼は飲食の道に目覚めて、大学在学中

に調理師の免許を取得した。以前勤めていた店は2店舗あり、K君を支店の厨

房のセカンドに付けたのが裏目に出た。支店長であるSが本部の意向に反旗を

翻したのだ。S、ひとりでは反発することも出来なかっただろうが、Oという

ホール担当が会社に対する不満をあらわにし、SとOとで共謀して、支店、独

自の路線を歩みたいと申し出てきた。その時に巻き込まれたのがK君で

彼も同調せざる得なかった。(以下次号)


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