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作り手のハートの入ったおいしいものをいつも、求めています。
玄人の技術には感心しますが
半人前の努力も魅力の一つと思っています。

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2010年3月

2010年3月31日 (水)

2010年万博で盛り上がる上海・思い出を辿る4日間その7

 八年ぶりに乗る上海の地下鉄は1号線の他、2号、3号と線路を延ばして

市民の欠かせない足となっている。地下鉄の発展は目覚しく、計画には11

号線まで予定が入っていて、確か6号線まで現実に走っていたと思う?!

 しかし、切符を買うのにはちょっと、複雑みたいできっぷ売場の自動販売

機には明らかにルンペンの」おじさんが張り付き、切符を買ってあげる代わ

りにおつりをせしめるといった行為もしていた。なんとか、切符を買って

ワイハイルーに一番近い駅までたどり着き、光明村まで歩いて行った。

上海・ワイハイルーの「光明村」は上海料理の名店で特に「焼き饅頭」と

「わんたん」、「蟹の小龍包」が名物だ。朝8時開店と同時に席が埋まり、

お昼時になるとずーっと「相席」が続く。豫園の南翔饅頭店の小龍包が6個で

48元なのに光明村は小龍包が8個で28元とお値打ちだ。味はこれと指摘す

るほど変わらないから、毎日食べるには光明村がお薦めだ。

2010年3月31日築地いなせやにシャンチー様・ご来訪特別編

 本日は年度末であるのに、おかげさまにて満席。

しかも、ぐるなび「お店のブログ・全国アクセスランキングトップ10」の

常連「新四川料理 三国のシャンチー様」ご来店頂けました。

あこがれの方でしたのでび・びっくりしました。お会計に自分が伺うと

「とても、おいしかったです」と丁寧なごあいさつを頂き、

こちらも大変嬉しい思いで、「ありがとうございました」とお礼を

いい、いざ、お見送りの際に「shigeshigeさんですか?」と訊ねられ、

一瞬、凍ってしまいました。うちの従業員にも教えていない名前でしたから

「シャンチーです」と自己紹介を受け、2度びっくり!!!

お話をもっと、出来なかったのが残念です。今度は自分が「三国」さんに

行く番と心に誓った夜でした。今、自分のブログが続いているのは

シャンチーちゃんからのアクセスのおかげで、いつのまにか400回を

越え、まさに「シャンチー様・様」で船橋に足を向けられません。

忘れられない日になりました。

2010年万博で盛り上がる上海、思い出を辿っての4日間その6

 華東大酒店の食堂は3階でバイキング形式だ。一人40元(600円)だが

今回のホテル代とセットになっている。正直、この回を含めて、3回かようこ

とになるがメニューは全く、同じだった。素人のような「目玉焼き」を焼く

コックが常駐しているがヒルトンホテルの朝食ような「オムレツ」には到底

及ばない。思い出してみると朝食はヒルトンが一番おいしいかったと思う

し、10回以上、上海を訪れているがヒルトン以外のホテルでは朝食を食べず

に料理屋の朝食を食べに行っていた。そこから、上海の面白さに溶け込んで

いた理由でもある。他の日本人二人には「あまり食べないで」とお願いし、

ワイハイルーの「光明村」という中国政府系が経営している店に行く旨を伝

えた。さすがにあの冷えてないオレンジジュースを飲めば、朝食のレベルが

わかると伝え、返ってきた感想は「45年前の渡辺のジュースの素」と

酷評がズバリ的を得ていた。ワイハイルーへは上海駅前という利点を利用し

地下鉄に乗っていくことにした。

(以下次号)

2010年3月30日 (火)

2010年万博で盛り上がる上海、思い出を辿っての4日間その5

上海駅、すぐ近くの「華東大酒店」2階のマッサージ室に行き、眠そうに

しているお姉さんに「足つぼ」とジェスチャーをすると「没有」と返ってき

て、そのまま早口の中国語が続く。聞き取ることが出来ないので「今日はや

めようか」と思い、帰ろうとすると日本語の少し分かるお姉さんが出てき

て、「オイルマッサージ OK?!」と同意を求めてきた。日本でやることも

ないだろうし、話の種にやろうかということになり、それぞれ、別室に入っ

て、オイルマッサージに挑戦だ。寝台のうえに油紙のようなものが敷かれ、

その上に腹ばいになって、背中や手足にオイルを擦り付けて、マッサージを

受ける。果たして「コリ」とかに効くのだろうか?今更、お肌がすべすべに

なっても喜んでくれる人もいないし、300元(4500円)は高い経験だと思

いながら、一時間の油擦りが終わり、380元を請求され、300元の下に

プラス80元と書いてあった。笑顔が素敵なお姉さんに一杯食わされ

たと思ったが当たり前のように「明日もOK?」と聞くお姉さんに「来ないよ」

と日本語で返し、「没有了!」と中国語で重ねて手を振ってやった。

それから、シャワーを浴び、もう午前の三時になっていて、すぐにベットに

入り、寝てしまったが、2時間もしないうち、続けさまに鳴る車のクラクショ

ンで起こされた。駅前ということなのだろうか?早朝より止むことのないク

ラクションは就寝を妨げ、そろそろ、朝食が始まる時刻になった。

まだ、腹もすいていないので散歩がてら、コンビ二に行って「青島ビール」

を一ダース買い、部屋の冷蔵庫にしまい、朝食の探検へと出かけた。

2010年3月27日 (土)

2010年万博で盛り上がる上海、思い出を辿っての4日間その4

 上海・外灘・7階レストランバーよりの眺めは黄砂に煙っているものの、

幻想的な造影が浮かび、異国を感じさせるには十分であとは腹ごしらえとい

うところだが、レストランバーのフードのラストが終わっており、ここでは

腹を満たすことが出来ないと分かった。すぐに店を出て、茂名南路にある

「避風糖」へタクシーで向かう。店をうまく、説明できないので運転手には

「倒・新錦江」と行き先を告げた。「避風糖」はその少し、手前に位置して

いたので分かりやすく、香港系の点心や炒め料理もたくさんあり、24時間

営業の店だ。車を止め、店の中に入るとやはり、土曜の夜ということもあっ

てか、店はほぼ、満席で深夜というのに、人気の度合いがわかる。海老の揚

げたものや小龍包、鶏肉をボイルしただけの上海家庭料理で腹と心を満たし

て男三人の夜は更けていく。同行しているH氏のたっての願いで足つぼマッサ

ージですっきりして就寝したいとのこと。自分たちの泊まるホテルの2階に

マッサージルームがあったのを思い出し、深夜一時の上海、タクシーを縦横

無尽に走らせて、上海駅すぐ横の「華東大酒店」に戻った。

                (以下次号)

2010年万博で盛り上がる上海、思い出を辿っての4日間その3

 上海・外灘は2年前から、大規模な改修工事が行われて、2010年3月

20日現在もあと、一歩のところまで工事が進んでいた。それよりも、僅

か、10メートル足らない路地に信号機を埋める工事が行われており、この

距離の信号を果たして、上海人が守るだろうかを心配し、予算の無駄と心で

は決め付けた。最近では大きな交差点の角に立つ、交通整理員らしき人が赤

信号で渡る人に注意を与えて、だいぶ、交通マナーも良くなってきているも

のの、深夜でもないのに30メートルはありそうな交差点の信号を無視する

人も少なくない。まあ、自動車が右側通行で赤信号でも右折で突っ込んでく

る危険さを日常にしている上海の人々は「自身を守ること」には長けている

と思って間違いない。埃っぽい外灘より対岸、浦東地区のビル群を望もう

イタリアワインが一杯60元(900円)のレストランバー7階より対岸を

見る。黄砂に煙る東方明珠や森ビルは夜12時を回ったせいだろう、すっか

り、ライトアップもなく、最低限の明かりを点け、ひっそりと静まり返り、

外灘7階のベランダより望む摩天楼は寒々とし、ランタン型のストーブも頼

もしいがこの寒さには耐えられそうにない。

                   (以下次号)

2010年3月25日 (木)

2010年万博で盛り上がる上海、思い出を辿っての4日間その2

 3月23日、もう深夜になろうかという「上海・浦東空港」に降り立つと

イメージした入国審査の混雑がまったくなく、拍子抜けした気分で預けた旅

行鞄を引き取り、迎えの車に乗り込む時にびっくりしたのが空港が2年前よ

り2倍の大きさになっていることだ。巨大な空港ホテルとモーテル168と

いう今、売り出しの安ホテルまでそびえていた。相変わらず、運転の荒い運

転手は健在で「上海に来たなー」って気分にさせてくれる。途中、橋の手前

右側に5月1日から開催される「万博会場」が見え、まだ、明かりが付いて

いることを考えると急ピッチで進められている建築物が不完全なことが伺え

る。小一時間で上海駅そばにある「華東大酒店」に到着。思ったより大きな

ホテルだが客室に入るとベットは固めで不可もないがお風呂はオンボロで2

006年に改装済み?とは、とても思えないのがこの街の確たる所以だ。

 機内食は食べたものの、せっかくの上海、寝る間を惜しんで遊ぶのが

常識。まずは新天地に繰り出すことにし、タクシーを走らせた。

 新天地は土曜日の夜ということもあり、カフェの店先のオープンエアーに

白人を中心としたグループがたむろし、どの辻も人の群れでごった返し、

歩くのにも不自由なのとただ、うるさいだけの大きな笑い声、バンドのかき

鳴らすギターやドラムに聞きほれる気分になれず、「珍道中の中年男三人」

新天地をそこそこ、後にして「黄砂」に煙っているだろう「外灘」を目指し

た。(以下次号)

2010年万博で盛り上がる上海、思い出を辿っての4日間その1

 3月20日、全日空921便上海行きは、上海・浦東空港までの道のりを

滞りもなく、進路を進めていく。日本の航空会社で上海に行くのは今回で2

回目で前回は2002年、現在はない「JAS」の上海就航便第1号機というお

まけ付きでフライトの前にはイベントが開かれ、中国少数民族の踊りや音楽C

Dなど、プレゼント付き、しかも機内食は特別料理で記念のワインボトルまで

付いていた。それからは中国東方航空ばかり乗っていて、どうしてもないと

きは中国国際航空に1回乗っただけだ。どうして、東方航空にこだわったか

というと、成田空港を飛び立った時から、中国語との葛藤が始まるのであ

る。機内サービスは雑だが片言の英語以外は中国語(プートンハ・標準語)

で話してくれる客室乗務員がいて、これから始まる上海ショートステイの

第一歩に踏むこめるのだ。もちろん、日本人の客室乗務員もいるが飲み物を

頼む際には、「ピ・ジュウ=ビール」と言ってみる。笑顔で答えてくれるの

が「中国東方航空」の親しみ易さである。「中国国際航空」は旧中国民航の

流れを汲んでいるのか、乗客のミス(たとえば、離陸前に音楽CDを聴いてい

た時など)目を尖らせて叱られたことがある。飛行機が止まる前に乗客が荷

物を取り出そうと立とうものなら、「おまえ、動くなといっただう」???

くらいの勢いのある中国語でまくし、立ててくる。もちろん、安全基準は理

解するが「作り笑顔くらい」してくれてもいいのにと思う。

まさか、日本航空にはないことだが元は国営、どこかに「お前たちに飛行機

に乗る心得を諭してやる」などの気持ちはないと思うが・・・。

(以下次号)

2010年3月19日 (金)

1995年3月20日晴れ・日比谷線築地駅で何が起こったか?その8

 自分としてはもし、3月19日に単行本を買わなければ、3月20日、H容疑者と

同じ車両に乗り合わせ、間違いなく「築地駅での惨事の中」にいた訳であ

る。それは幸い、逃れられたが自分の乗っていた車両の前のめりに倒れてい

った人々のことを考えると紙一重が2回も続いた現実。毎年、3月20日を迎え

る前、サリン事件の報道や首謀者の名前を聞いたりすると「嘔吐」やめまい

不眠による「深酒」など、自分の心の弱さから来ることと思っていたが

たまたま、仕事で中国・上海に出張した時にそんな症状から開放されたこと

が不思議に思い、5年前からは休暇を取って、3月20日当日には中国・上海の

友達に会いにいっていた。出張で上海に行った年から、極端に「嘔吐」や、

目眩を起こすことなく、行く前の気持ちの高揚もあって、3月20日が近づいて

も気分良く過ごせた。また、サリンの空気にさらされた日から、あれだけ悩

んでいた「花粉症」の症状が出なくなり、不思議とも思っている。本日、

3月20日付けの日経新聞の朝刊には偶然、自分と似た症状が紹介されていて、

びっくりし、心的外傷後ストレス障害の一種の「記念日症候群」と書いてあ

った。「オウム被害給付金」の制度はあるとは聞いていたが自分の症状な

ど、病気と思ってもいなかったし、もし、相談にいっても「門前払い」か

職安の給付金のように審査が厳しく、また、あの事件の中に引きずり戻され

るのかと思うと無料検診も受けたくない気持ちだ。

 いよいよ、明日から4日間、上海へ旅立つ。日経新聞に書いてあった症状で

悩む方々への気持ちを考えれば、自分も無料検診を受けなければならないと

思うがもう一歩、踏ん切りを付けさせてくれる自分への啓発を上海で探して

来るつもりだ。


(この章の最終回、犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます、合掌)

2010年3月18日 (木)

1995年3月20日晴れ・日比谷線築地駅で何が起こったか?その7

 新大橋通り、入船橋の坂を越えると築地本願寺前の道路は封鎖されて、そ

の向こうに数台の救急車が道路を塞ぐように止まり、ただ事でないことがわ

かる。野次馬根性で近づいてみると誰かが「毒ガスらしい」と教えてくれた

が茅場町の事件と繋がるとは思っても見なかった。確認できないまでも、

死者が出ていると人伝に聞き、まさか、うちの従業員ではないかと疑うには

時間がまだ、早かったのですぐ、頭から打ち消した。とりあえずは、店に行

くことを考えたがことの重大からまずは腹ごしらえをと、蕎麦屋に飛び込ん

だ。これからの状況しだいで今日のランチは出来ないかもしれないし、

夜の予約客になんら、影響があるかもと思ったからだ。そばで一息ついてか

ら、店に着くと電話が鳴っていて、慌てて受話器を取ると店の常連客である

警察官からの電話だった。「店長は大丈夫だった?!」と確認の電話で

「これから、大変なことになるけど、気をつけて」とのこと、その時点では

築地以外の箇所で、事件が起こっていることなど、知る由もなく、すべて、

テレビの特別報道でことの重大さを知り、自分の乗った電車のあとの乗客が

聖路加病院に運ばれ、応急処置をされたという事実。自分はどうかと問うて

見ても「大丈夫、何ともない」と思っていた。(以下次号)

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