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作り手のハートの入ったおいしいものをいつも、求めています。
玄人の技術には感心しますが
半人前の努力も魅力の一つと思っています。

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2009年4月

2009年4月29日 (水)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 70

2002年、上海のその当時の地下鉄は2元から3元でほとんどの駅を網羅でき

る。2002年4月、地下鉄は乗るたびに満員で朝や夕方の繁忙期はどんなに混

むのか想像が着かないほどだ。日本の電車のように「痴漢」がいたら、身動

き出来ない状態は同じなので、痴漢はいたのだろうか?日本はまだ、一部が

自動改札であったのに、上海の地下鉄はすべて、自動改札であった。カード

の入れ方のわからない自分を若い綺麗なお姉さんが知り合いでもないのに、

親切に教えてくれて、上海に日本の下町的な人情があるのかと、思った。

福建省の林さんによると、中国の地方の人は上海ではバスには乗れないそう

だ。必ず?集団ですりが乗っていて、安全ではないという。空調のないバス

はどこまでいっても1元(16円)で空調のあるバスは2元が相場だ。基本

的に交通手段と通信費の安い国は発展すると経済学者が言っていた。その頃

の凄まじい中国・上海の発展はまさに、交通費と通信費の安さがベンチャー

企業や株式のネット化など、新しい経済を支えていたのに違いない。

(以下次号)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 69

その晩、火鍋を食べ終えてお会計は3人で110元(1760円)お腹が一

杯になってこの値段は安いと思うが、上海での普通の定食が10元(160

円)で食べられる。このことを考えると火鍋は少し、金持ちの外食になる。

自分の会社が想定している上海・新天地での日本式のラーメンの値段が22

元(352円)も、高い外食と言えるが何もかにも高い「新天地」では安い

部類に入る。感覚のマヒは色々とあるが中国・上海で10000元(16万

円)の給料で日本式のラーメンは高いと思わないかもしれないし、それ以上

の給料を貰っている外資系のサラリーマンが上海の人口の2割に達する。消

費という面で上海は世界でも重要な位置を占めるのが分かって貰えると思

う。静安寺地区から虹橋地区にある塀付きの大きな公園のような一角は一戸

建て住宅が何軒も程良い間隔で建てられている。塀の切れ目には大きな門が

あり、警備員が常駐している。その一戸建てにはサンタクロースが入れそう

な煙突があり、間違いなく「暖炉」がある家に違いない。その規模を考えれ

ば、日本の建売住宅など、及びも付かない「高級住宅地」があることが分か

る。やはり、中国において、上海は別格の世界都市なのである。

(以下次号)

2009年4月28日 (火)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 68

火鍋の〆は麺とご飯、両方楽しめるのが嬉しい。ただ、スープの加減でそれ

ぞれのおいしく出来上がるタイミングが違うので注意したい。鍋というもの

は中国・上海、日本各地とも、同じ鍋を囲んで同じ味わいを共にするという

ことでは変わらない。火鍋について、中国・福建省出身の女性に尋ねたとこ

ろ、まだ、一人っ子政策が中国で実施される前、農村部は特に子だくさんで

ひとつ、ひとつ料理を作っても冷めて、おいしくなくなるから、火鍋が手っ

とり早い料理のひとつと教えてくれた。それも事実であると思う、火鍋を囲

うことや台所で鍋が沸騰している光景は、幸せの象徴にも思えるからだ。昨

日のニュースで気になった大阪の女の子の虐待死?は心が痛んだ。この家

庭?には暖かな鍋なんて、きっと、なかったんだろうなと。子供の幸せは生

みの親だけが背負うものではなく、地域、日本の宝として育てていくものだ

と思う。少子化は日本の問題だけでなく、世界全体は人口が溢れ出している

ことも忘れてはいけない。小さい見地で考えてしまうことも問題だが各、家

庭が幸せであることが本当の平和であると思う。(以下次号)

2009年4月26日 (日)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 67

火鍋の具材で選んだのは豚肉、羊肉、鶏肉、牛肉、空心菜のようなもの、

葱、もやしなど、スープは辛い豚骨風塩味と味噌風の色の付いたもの、辛い

スープには山椒の粒が入っていて香りが良い。鶏肉などを入れてから沸騰す

るのを待って、各種の肉を入れてつけだれで頂く。つけだれはピーナツ味噌

のような味で少し甘めだ。山椒の辛みが利いていて、辛みと各種の肉から抽

出されたうま味?が醸し出されているのか、自分の味覚を刺激した初めての

味だ。唐辛子の辛さよりも山椒の辛さが新鮮でおいしい。医食同源の中国料

理はやっぱり、4000年の重みと料理人の知恵が深い。自分としてはつけ

だれは付けずとも十分においしいと思う。火鍋の良いところはスープも2種

類、楽しめて好きな具材を色々選べることだ。点心とかソーセージのような

ものを組み合わせたら天文学的な数の火鍋ができるに違いない。

(以下次号)

2009年4月25日 (土)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 67

火鍋の店は2階に位置していた。まるで飾り気のない広い店内にはテーブル

の上にコンロだけとシンプルなものだ。きっと、以前、この店は卓球場と

か、ビリヤード場じゃないかと確信してしまう程だ。どっちにしても、汗の

似合いそうな趣だ。厨房も壁の向こうがそうなのだろう?がしゃんがしゃん

と食器を洗うような音がしている。出てきた鍋は二つに仕切られた鍋でへた

な溶接の鍋だ。紙を一枚渡されてそこに書き込めと言っているみたいだ。そ

の伝票らしきものには高いもの順に一番上から書いてあった。値段は忘れて

しまったが一番高いのは「狗肉・犬肉」次が「蛇肉・へび」「牛肉・猪肉

(豚肉)・羊肉・鶏肉」はそんなに変わらない値段でエビなどの海鮮は高い

気がした。スープを三種類から選べて、辛さもオーダー出来る。つけだれも

別料金でびっくりしたのが「おしぼり」が別料金で一元だ。中国人である付

き添いの女性は「おしぼり」を当然のように断った。出てきた食器はプラス

チック製か、アルマイトの金属製だ。今も鳴り響く食器は割れる心配などな

く、大いに音を立てて洗える訳だ。(以下次号)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 66

火鍋の店は准海路から衝山路への途中、パークソンというデパートの斜め前

にあった。まだ夕食には時間が早かったので上海のデパートを見ることにし

た。丁度、バーゲンをしているようでどこもかしこも、買い物客で一杯だ。

特に女性客が多く、買い物をすると福引券のようなものをくれるらしい。福

引所では歓声や罵ったような声が聞こえる。当たりによって100元とか5

0元の金券と換えてくれるらしい。今回、火鍋や現地の人しか行かないよう

な怪しい偽物市場などに連れていってくれた現地のスタッフの彼女に「お礼

になにか買いましょうか?」というと「ありがとう!」と答えて、日本のジ

ーンズが欲しいという。彼女は島根県の縫製工場で働いていていたことがあ

り、日本語が上手だった。もちろん、買い物の時の通訳もしてくれたのにも

感謝してのこと。彼女が遠慮しないのは日本人が金持と思っているのでしょ

うし、事実、当時の上海で雇った社員の給料は月800元(日本円で128

00円)で自分の給料と比較すれば、当然のことか?。ただ、びっくりした

のは「日本製のジーンズ」が580元(9280円)と高いことだ。

中国の関税の高さを体験し、彼女には笑顔で買ってあげた。いよいよ、待望

の火鍋にありつける。(以下次号)

2009年4月24日 (金)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 65

上海立ち上げのメンバーがヒルトンホテルに迎えにきたのは夜8時で食事よ

りも「カラオケ店」に行くという。新天地に近いワイハイルーのカラオケ店

はまるで巨大なホテルのようで設備は日本のカラオケ店と同じ設備だ。もち

ろん、日本の最新の歌もぎっしりで入っているし、中国の歌には北京語と広

東語の字幕が出る。カラオケが始まる前に画像からは避難口の案内やこのカ

ラオケ店での消火訓練の様子など、日本のカラオケ店では見られない情景

だ。ビルは10階以上あり、着飾った女性もいた。あとから聞いたことでは

あの綺麗な女性たちはカラオケのサポートをしてくれるらしい。また、アル

コールはフリーではないが中国菜のバイキングを別料金で楽しむことが出来

る。へたな歌も歌ったが現地の中国人のアルバイトと共にカラオケを楽しむ

ことは有意義で、「中国人」という歌だったと思うが日本でいう「三波春

夫」のような歌い手が画面で力強く歌うと中国人スタッフが老いも若きも一

緒に合唱するのは圧巻だった。明日の晩は今回の目的である「火鍋」を中

国人スタッフが連れていってくれるということになった。(以下次号)

2009年4月23日 (木)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 64

上海のシンボルと言える「東方明珠」を向こうに見渡せる「ワイタン」は幾

重にも人がごった返していて、買い物するでもなく、それほど綺麗でない川

面をずーっと見ている人など様々だ。古い建物はさすがに時代ものとして、

ビックベンの小型版のビルやヨーロッパ形式の古い建物が並ぶ。そして、古

い建物の一階に日本式の回転寿司やがあった。中を覗いて見ると営業中とい

うのにお客はひとりもいなかったし、寿司も回っていなかった。2002年

にはまだ、広く受け入れられていないのがわかる。そのあと、上海での重要

な観光スポットの豫園へ行った。古くは土地の役人の邸宅でであったそうだ

が庭が広いというよりも、迷路の連続のような巡回ロを歩く。所々に龍の彫

刻や花や鳥を浮き彫りにした窓など趣向が凝らしてある。見学もそこそこに

夕食となって、「図書館の中の中国菜のレストラン」にて麻婆豆腐食べ放題

のコース。硬い点心と薄味の麻婆豆腐、これが上海料理かと思うとうんざり

して、早く違う料理を食べに行きたかったが安物のツァーのここがミソなん

だと思い知った。やっと、ツァーから解放されてヒルトンホテルに着いたの

は夜7時、早速、ワイハイルーにある本社の上海駐在所に電話が出来た。

これから、ホテルまで迎えに来てくれるという。やっと、おいしいものが食

べられると安堵した。(以下次号)

2009年4月22日 (水)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 63

3月19日、成田空港より上海・浦東空港へ、就航記念とあって、出発前に

は中国、少数民族の踊りとテープカットがあり、乗客全員に中国民族音楽のC

Dなどがプレゼントされた。記念機内食は二段重ねの松花堂弁当で、機内食と

思えない豪華さだ。まだ、日本航空と合併前だったし、この路線にTDAは大い

に期待を掛けていたに違いない。もう何回か、上海にいっているが日本の航

空会社に乗ったのは今のところ、この回、限りだ。その他は中国東方航空ば

かり乗っていた。以前、上海中心地に近い虹橋空港を利用することが出来る

のは中国籍の航空会社だけだったので便利さを優先していたことと、上海に

着く前に中国にいる気分になれるのが面白くて現在も選んで乗っている。現

在は国際線のすべてが浦東空港だがチャーター便のみ、羽田ー虹橋空港とい

う理想的な路線がある。しかし、料金が3割ほど高いのは頂けない。浦東空

港から中心地まで高速道路で約一時間かかるという、オンボロのワゴン車

が唸りながら走ってゆくのは本当に怖い。高くそびえるビル群とは違い、運

転マナーはまだまだ、発展途上だ。オンボロワゴンに揺られながら、いよい

よ、観光名所、ワイタンに到着する。(以下次号)

2009年4月21日 (火)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 62

もつ鍋から鍋処への転換といっても、年間を通してのメインの鍋はもつ鍋で

10月頃から、ちゃんこ鍋の需要が増えてくる。2002年、1月から3月

までの鍋のシーズンを終えて次なる鍋へと転換が必要だ。課題の夏をどう乗

り切るかが問題である日、本部のK部長より「上海では火鍋が流行ってるらし

い、冬はもちろんだが、夏でも行列のできる店があるらしい」と聞いた。

以前、お店のお客様から上海の火鍋はめちゃめちゃ辛いけど、汗を掻いたあ

とがとても、気持ちいいとお聞きした。これは是非食べてみたいと思ったけ

れど、今のように火鍋を食べさせる店が日本にはそうは見当たらなかった。

ふと立ち寄った旅行会社のチラシに当時の「TDA」が新規に上海(浦東)成田

線就航記念の格安のツァーひとり、39800円、三泊四日でしかもホテル

が五つ星のヒルトンホテルという豪華さ、早速、K部長に見せたところ、快諾

を得られてK部長と二人で上海行きが決まった。この頃、九州の本社が上海に

て日本式ラーメン店の開店準備をしていることもあり、話はとんとん拍子に

決まった。(以下次号)

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