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作り手のハートの入ったおいしいものをいつも、求めています。
玄人の技術には感心しますが
半人前の努力も魅力の一つと思っています。

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2009年3月

2009年3月31日 (火)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 43

博多の長浜市場を見て、魚を確認してから長崎へと向かった。九州道は相変

わらず、空いていて走りやすいがスピードは気をつけないといけない。途

中、筑後川温泉で「地鶏料理」を食べてから長崎に行くことにしたので長崎

には夕方着予定だ。あらかじめ、長崎の「U商店」には夕方、伺うことを電話

連絡しておいたので取りあえず、会ってはくれそうだった。筑後川温泉の地

鶏料理屋は原鶴温泉に泊まった時に上司の親戚に連れて行ってもらったこと

がきっかけでもう、4回目だ。氷の冷蔵庫で熟成された地鶏はうま味を増し

て、東京から交通費を掛けても惜しくない絶品だ。長崎での幸運を引き入れ

る為にどうしても寄ってから行きたかった。(以下次号)

2009年3月28日 (土)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 42

長崎へは福岡空港からレンタカーで向かうことにした。朝、博多の長浜市場

で魚を見てから、長崎に出向きたかったからだ。長崎の「U商店」の社長には

東京から取り引きの依頼をした際、「訳の分からないところには送りたくな

い」と断られた。博多の地魚に不満があるわけでないが、もっと、九州の地

魚を広く知りたかったし、長崎の地魚を仕入れるルートは魅力的だった。顔

突き合わせて断られたら、まだ、諦めもつくが水産の営業で培ったやる気と

負けん気を「U商店」の社長に見て欲しかった。自分を気に入ってもらい、魚

を分けてもらえたら築地の店の新しい柱になると思った。まず、早朝、長浜

市場で魚を見て、東京とあまり変わらない魚種のに気づいた。やはり、東京

の魚種は凄いことが分かる。でも、自分の欲しい魚は地元の人しか知らない

魚、東京へ送っても値段の付かない地魚だ。(以下次号)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 41

鶏飯(けいはん)は思ったより好評だったが鶏飯まで行くまでの間の問題

だ!お客様が「ワァーッ」という感嘆詞を上げる様な料理が二つは必要だっ

た。刺身の盛り合わせは4点盛り、5点盛りと進化していたが玄人受けする

ような魚はなかったし、個別に盛り分けた「豚角煮」も好評だったが凄い

ね!なんて、声など聴けるはずもなかった。改めて、築地の店らしさは魚に

こだわることだし、九州・博多の会社が経営している店としての売りがなく

てはいけない。ついに2003年の夏、決意を固めて築地の店の店名の冠に

「まるごと九州」をつけて、もっと、いやらしいくらいに「九州の物産品」

にこだわった品揃えにした。そして、さかなの仕入れも博多の市場から地魚

を航空便で送ってもらうルートを取り付け、更に長崎の市場からも送っても

らうルートを取り付けるために長崎へと向かった。(以下次号)

2009年3月27日 (金)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 40

基本となるお客様はもつ鍋やちゃんこ鍋で集客できるが120席あるうち責

めて80名の集客と客単価4200円を維持しなくては店の損益分岐点に到

達しない。言ってみれば、毎日満席でなければいけない計算になる。120

席に完全に120人はいる訳もなく本当の満席でも98名が限度で、すかす

か満席なら78名もある。鍋のアソートは増えたものの、鍋なしのコースで

いかにお客様に満足していただけるかがカギだ。コースの〆の食事として候

補に挙がったのは「宮崎の冷汁・ひやじる」と「奄美大島の鶏飯・けいは

ん」いずれも女性誌の媒体を使って、夏の特別コースに打って出ることが決

定。まずは鶏飯を〆の食事としたコースを行うことにした。「鶏飯」は、お

茶漬の高級版として解釈し、青パパイヤの漬物を作って目玉としたが鶏のさ

さみのお茶漬風が十分の珍しさと食べやすさで女性には受けたようだ。しか

し、お客様がぜんぜん馴染みのない「郷土料理の鶏飯」をポピュラーに浸透

させるにはまだまだ、時間がいると感じた。(以下次号)

2009年3月26日 (木)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 39

毎日、築地場内に入り、仲卸の店先の魚の値段と種類を確認しながら、メモ

していき、取引のある仲卸にこのさかなはどうかと尋ねていった。店が満席

ならヒラマサを一本買っても使いきれるがこれからは、お客様の少なくなる

5月の連休あとだ、魚がおいしいことをお客様に浸透しなければ満席になる

可能性はない。鍋がなくともお客様を飽きさせないコースを考慮していくこ

との一番の難題は食事までの流れだ。先附け・前菜・刺身・揚げ物までの流

れは作れるが揚げ物以降の料理を何にするかだった。普通なら煮物、蒸し

物、焼き物になるが元々、鍋料理を前提とした厨房であったので蒸し器もな

く、焼き台もなかった。辛うじて、ランチを始める時に揚げ物機は導入して

いたのでカレイを揚げるなどは出来たがあとは食事までの料理と食事を何に

するかが当面の課題だった。蒸し器を買い、地鶏を蒸したりすることも考

え、宴会やになることもひとつの道だと思った。(以下次号)

2009年3月25日 (水)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 38

朝、行きつけの仲卸に行くと養殖のタイが水槽で泳いでいた。いつも、店で

買う養殖ダイだ。天然ダイはいくらかと聞くと扱ってないのでわからないが

養殖の3倍の値段という。天然の白身にこだわるなら鯛よりもスズキの方が

値段は手頃で使いやすいと薦められたが鯛に比べて色変りが早く、その日に

使い切らないとロスになってしまう。鰺などは小型のために店が満席の時な

ど、ランチが終わってからの仕込みでは到底、間に合わない。天然のヒラマ

サがある時は養殖のかんぱちの代わりに使ったりしたが毎日、手頃なヒラマ

サもないので安定しなかった。良い魚を使って商売したいという気持ちは募

るばかり、技術の未熟さも感じ、魚を扱える人を新たに募集することにし

た。縁とはわからないもので、かって日本料理店を経営していた人が自分の

店を潰してしまい病院の厨房で働いていて、借金がある為、空きの時間を利

用して働きたいと応募してきた。渡りに船と採用してみると技術、知識は申

し分ないもので衛生管理にも精通していたため、魚を中心に取り入れる、足

固めが出来た。(以下次号)

2009年3月24日 (火)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 37

鍋処としてのアイテムは確立したものの、次の基本を作ることが課題だ。改

装した個室は徐々に浸透していき、接待需要も確実に増えていった。やは

り、築地らしい名物は魚しか見当たらなかった。現在使っている魚は養殖の

カンパチと冷凍のまぐろ、ホタテガイと日変わりで一品、刺身盛り合わせの

木桶を埋めていた。ある日、常連のお客様から「養殖のカンパチのギュニュ

っていう感触は嫌いだ」と忌憚のない意見を頂いた。そのお客様は大手の水

産会社の社員で魚には精通していたのでむしろ、教えを請う気持ちで「何が

いいですか」とお聞きすると「白身くらいは天然を使えば」とのこと。

早速、次の朝、早く起きて築地市場へと向かった。

2009年3月23日 (月)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 36

狂牛病の危機を乗り越え、「牛もつ鍋」のアイテムを広げ、従来の醤油味、

みそ味、もつすき焼き、甘辛とんちゃん風に加え、鉄板で焼く、ピリ辛とね

ぎ塩を発売した。牛もつ鍋専門店の色を濃くしながら、ちゃんこ鍋2種とキ

ムチ鍋、黒豚しゃぶしゃぶと鍋のアイテムは10種に渡り、鍋処としてのラ

インナップは確立した。このあと、季節に応じて、豆乳鍋、夏ちゃんこ、く

じらのハリハリ鍋と年間を通じての鍋もやるようにした。しかし、課題は営

業日数の少ない5月、暑くなる7月から9月の中頃までの営業で社員を1名

に絞ったほか、入店して10年を超えるキャストを数人抱え、この店の収入

だけで生活をしているキャストの雇用を守る為、時間を削れない状況で夜の

売り上げを作れない夏の時期をいかに乗り切るかが店を存続させることだ。

(以下次号)

2009年3月20日 (金)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 35

ぐるなびさんの販促ツールの中にはこの二年、もつ鍋のキーワードが続いて

います。第一次もつ鍋世代も混ぜ合わして第二次もつ鍋世代が牽引し、芸能

人を火付け人としてもつ鍋店は恵比寿、元麻布周辺のおしゃれな店がはやっ

ているようです。あとは赤坂のもつ鍋店が芸能人の打ち上げや食事のスポッ

トとして大体、この一年のうちにオープンして盛業しています。やっと、も

つ鍋が新しい食文化として認められたのか、まだまだ、確認しないといけな

いと思います。今日は「地下鉄サリンの日」です。改めて、ご遺族の方々の

悲しみと主を亡くした家庭も多かったと思います。

洗脳されたエゴと戦うこと、次世代に伝えなくてはいけないと思います。

(合掌)

1994年 もつ鍋から鍋処への転換 いつか再ブームが!!来る? 34

以前、2月20日ころに地下鉄サリン事件の件はお書きしましたが、今日が

その日です。結局、亡くなった方は12人、後遺症など被害に逢われた方は

5000人を超すとのことでした。築地駅や各被害者の出た駅では毎年、慰

霊の儀が行われます。改めて、死というものを考えさせられる一日です。

もし、自分が一冊の本に出会わなければ死んでいたかもしれません。だか

ら、神様がもっと生きて、ひとのために尽くせといっていると思います。今

は飲食業で世の中のお客様を元気づけることできないか、日々考えておりま

す。もちろん、頑張って働いてくれている正社員の未来やキャストさんたち

の希望をかなえることも重要な役割と疑いません。ご存じのとおり、飲食業

は人を育てなければ、成り立ちません。幸い、開店してもうすぐ、三年目に

なりますが主なメンバーは変わっていません。今日、前の店から私を贔屓に

してくださるお客様から、「3年間同じメンバーで続けているのは繁盛店の

秘訣だね。」とおほめの言葉を頂戴しました。開店当時から順調とは行きま

せんでしたが最近、なんとか、私が店をやっていく方向性を打ち出すことが

出来てきました。これからも自分が元気になって、世のお客様に楽しんで頂

ける店作りをして参ります。地下鉄サリン事件で亡くなった方のご冥福をお

祈りして今日のブログとさせていただきます。合掌。(以下次号)

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