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作り手のハートの入ったおいしいものをいつも、求めています。
玄人の技術には感心しますが
半人前の努力も魅力の一つと思っています。

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2008年12月

2008年12月31日 (水)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その47

 ダンスパーティーは恋人を見つけるチャンスでもあるが気のない女の子に惚れられるとちょっと、厄介だ。船は狭い世界なので誰が付き合っているのか、すぐに知られることになり、ましてやもう少しで意中の女の子と付き合えることになるとその女の子を無視するしかない。あのラチ―フでさえ、慎重にしろと忠告してくれる。言いよって来たのはボーイッシュなスメトラメだ。とりあえずは、忙しいからとチャイの誘いをを断ると「どうして?・シュトー?」と割としつこい!ジェーナもそっけなく「付き合ってあげれば」という。しかし、スメトラメの静かなる情熱に屈することなく、ジェーナに傾倒していく、いいきっかけにもなった。相変わらず、厨房にじゃがいもを剥きに行き、厨房で食事を取ることは変わっていない。変わったことと言えば、いよいよ、シャルバに貯めこまれた「冷凍助子」を積み込むコントラクトが提示されたことだ。(以下次号)

2008年12月30日 (火)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その46

 お酒の話はさておき、仮にもダンスパーティーであれば、恋の花が咲くというもの。特に「チークタイム」はどこの国でも体を寄せ合って、男子はここぞと、口説きまくるのが筋。口説かない男は(シャルバに限ってだが)女性に関心のない人と決めてしまう(船員には男色の人も多いらしい、大昔は女性を船に乗せなかったことに由来するかも)シャルバの乗組員のうち、男性は約200人、女性は約80人の割合だ。元々、夫婦で乗船しているのも珍しくないが中には船だけ夫婦もいた。母船は大体、ウラジオストックを出港してから11か月間作業を行い、一か月の休みを経て、新しい船に乗ったり、スカウトされて乗る者など、まちまちだ。船を下りると家族がいて、船にも奥さん?(正式ではないが)もいる。あの「スタニスラッグ」がそうだ。私のチームの若い女の子がいつも、プライベートではより添っていた。
しかも、姪であるナターシャも公認だった。(以下次号へ)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その45

 ご存じの方も多いと思うがロシア人の酒盛りは各自がだらだらと飲まない。酒を飲むというのは特別な行為であって、「乾杯!ダバイチェ!」はトーストという、何に乾杯するのか?意味を込めながら盃を交わしていく。たとえば、全員の健康であったり、「大漁を!・ハローシィー、ウローフ」など、もちろん、恋人に乾杯も大ありだったりする。ウォッカは50度を超す物もあるので必ず、水などを横に置き、更にパンを用意しておくのが一般的な飲み方だ。この船の場合、パンに真鱈の肝臓をゆでて油漬けされたものを「ピーチ」と呼び、パンに塗りたくるのが最良の食べ方とされている。真鱈が外道としてあがった時も身よりも肝臓の方を取る人が多く、身はそのまま放置され、それを甲板員が持ちかえり、じゃがいもと一緒にストーブの上で蒸し焼きにしたりして食べる。基本的にロシア人はドイツ人と同じスラブ系民族なので肉とじゃがいもが主食だ。「魚・ルイバ」は好んで食べる訳でないようで凍る海では魚は取れないのが現実だし、船という交通手段は早くからあったものの、凍らない港、「ウラジオストック」を中国から手に入れたのもまだ、歴史的には浅いのだ。(以下次号)

2008年12月29日 (月)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その44

 総乗組員数280人のシャルバは船長中心の家族とも云えたが長い、船上生活の中で色んな「ガス抜き」も必要だ。それが先日行われた「ストライキ」であったり、「酒なしのダンスパーティー」だったりする。国際婦人デーである今日は女性全員に休暇が与えられ、掃除や食堂の給仕さえ、男性が行う。結局、この船で一番暇なのは管理職であり、事務屋の責任者などが食堂で料理を運んだり、強面の班長が掃除をしたりして、ユーモアたっぷりに仕事をこなしていく。ダンスパーティーには生バンドが入り、ドラムスは通訳のセルゲ、エレキギターはファイアーマンやその仲間たちで編成された。工場の仕事も休みで船だけが移動をしている状況で個々にダンスパーティーの会場を出たり、入ったりで盛り上がっていく。会場を出る理由は船室に帰って「酒」を飲むためであり、各船室では酒盛りが行われていた。こんな時に出てくるのが「アルコール97度の密造酒」であったり、黒パンで作った「どぶろく」だ。私もアゼルバイジャン人から買った「ポートウォッカ」をみんなに提供した。「ポートウォッカ」は色がウイスキーのように琥珀色をして飲みやすいウォッカだ。(以下次号)

2008年12月28日 (日)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その43

 ラチ―フに付いて行くと食堂に入りきれない人だかりがしていた。食堂が即席の議場となり、黒板の前には船長のセルゲが仁王立ちをしている。口火を切ったのが助子の腹だしをしている婦人だ!興奮ぎみに「プローホ!」と叫ぶ、丁度、通訳のセルゲも来たので同時通訳をしてもらうと、この船の食事に対する不満とのこと、生鮮野菜がない、くだものもない、との内容。船上生活においては重要な問題だ。自分たちで食べたい物をリクエストできずにただ、出されたものを黙って食べなくては飢え死にするのだ。船の中にはイスラム教徒を信仰しているものもいるし、宗教上食べられないものもあるわけだ。シャルバはロシア人を始めとするウクライナ、エストニアなど約20カ国の人が乗船している。そのうち、何人もの工員が船長に抗議している。日本のような上下関係など微塵に感じることなく、議場ではすべての人が対等の権利を主張していた。いろいろ意見が出尽くしたところで船長のセルゲがモスクワの本社に抗議して、乗組員の待遇の改善を図ると約束して閉会した。船長のセルゲはやはり、輝いた存在であるのを改めて確認したひとコマだった。(以下次号)

2008年12月27日 (土)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その42

 1時間後、早めに待ち合わせの場所で待っていると木村さんが「おーい!行くぞ!」と段ボール箱を2個投げてくれた。その場で確認すると1個には缶詰、もう一つにはカップ麺が入っていた。「すみません!ありがとうございます!!」とお辞儀をすると「いいから、いいから、日本着いたら、酒でも飲もうや!!」と帰っていく。「あのすみません、あのお名前と会社は?」と聞くと「M社の函館の木村だ!」同じシャルバの乗組員以外の日本人と話をしたのは60日以上前、新鮮な出会いだった。その夜、寝ている間に隣にいた船はいなくなり、こちらも新しい漁場に向かっているようだった。助子もいわゆる「眞子」(一番高く売れる助子)から「目付」(少し柔らかくなってきた、旬を過ぎた助子)に変わって来ており、眞子を取るために北緯58度まで移動した。あと2度移動すれば、ロシアの地、オホーツク市に接岸することができる。当初、重油の給油のために接岸が検討されたが近く来る貨物船からの給油で事足りるといかないことになった。それが原因かわからないがその夜、突然、工場の作業が停止された。ラチ―フが「ストライキ。シュトイカ」といった。(以下次号)

2008年12月26日 (金)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その41

 シャルバの隣に同じ型の母船が横付けされた。ロシア人の知り合い同士が甲板のへりで大きな声で話している。チーフオフィサーの許可をもらえば、隣の船に転船することができ、見学がてら行ってみたいと思い、通訳のセルゲを通じて許可を願い出たが「日本人はダメ」との回答。それならばと隣の船のひまそうな人を見つけて、「日本人はいませんか?・シュトー、ヤポーニア?」と聞くといるという。ここに連れてきてほしいというと頼むと快諾してくれて10分後に日本人が現れた。今でもお付き合いのある木村さんとの初対面だった。「おう、日本人か?なにか用か?」と聞くので「すみません!!M社の仕事をしているK社の井上と申しますが、日本酒とか持っていませんか?」と聞くと「全部飲んでしまって、酒はないな!」との答え、「退屈でしょう?」と聞くと「うん、そろそろ下船の予定だからぎりぎりだな!なんか、見て来てやるから一時間後に落ち合うべ」と帰っていった。あとからわかったことだが「木村さん」は冬はロシアで助子の検品、夏は南半球のチリに渡って鮭の検品を行っているスペシャリストだ。空いた期間は地中海へまぐろの指導に行くとのことだ。(以下次号へ)

2008年12月25日 (木)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その40

 今日、飯島愛さんが亡くなったのを知りました。自分がロシア船に乗るにあたり、小学館が出版した硬派な雑誌が初めてウラジオストックを紹介していた。その雑誌を購入してロシア船に乗り込み、ここら辺が私の家だとかロシア人のスタッフとのコミュ二ケーションに大いに役立った。その雑誌のひとコマに飯島愛さんのAVを撮っている写真が載っていて、「同棲していた男に裏切られて、新しい境地を開くためにAVの道を選んだ」なんて書いてあったと思う、記憶違いでなければ、ふっくらとした18歳の女の子でした。100日間の船上生活を終え、日本のテレビジョンを見てびっくりしたのが「Tバック」で有名になっていた飯島愛さんでした。雑誌でみていたより、ずっと、スリムになってきれいに見えたのを覚えています。一緒に乗った雑誌も戦友ですが、ロシア人に日本女性を紹介する時に飯島愛さんを見せてネタにしたときのこと今でも忘れません。ご冥福をお祈りいたします。(合掌)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その39

 ラチ―フ情報によると、乗組員の医療のために同じ形の母船が来週、横付けされるとのこと。その船には歯医者が乗っているらしい。シャルバには婦人科を含む、2名の船医が常駐していた。もちろん、ヘアトニック事件以来、若い方の医者とは仲良くしている。酒は弱いが正義感のある「真面目な男・セルオォズイ、ムッシーナ」である。あいかからず、船にはすけそうだら以外の魚は外道として、フィッシュオイルへのラインへ運ばれるが、タイとか大きなカレイなどは私に献上され、私は刺身で仲間たちはフライで白身を堪能する。ある日、ラーチフが「まだ、電卓は持っているか?」というので「ある・ダー」と答えると「キャビアと取り換えて欲しいそうだ」というので即、OKした。交換したキャビアは牛乳瓶と同じ容器に一杯詰め込んであり、等級は青ぶたで塩加減といい、粒といい、大変おいしい。最後は贅沢にお茶漬けにして食べた。「キュウリ魚(本シシャモのデカイ版)の干したものもウォッカに良く合うつまみでこれは魚種を分けるおじさんからもらった。いよいよ、母船が横付けされる日が来た。(以下次号へ)

2008年12月23日 (火)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その38

 昨日、ウォッカを積んでくれたラチ―フの友達は笑顔で迎えてくれて、また、「乾杯!ダバイチェ!」が始まった。二杯めの乾杯が終わって、ラーチフがドヌークに切り出した。「フォックスを五万円で分けてくれくれないか?イノウが大変、気に入っている!」ドヌークは「ウォッカを高く買ってくれたから、7万円ならいい!」ラチ―フが私にどうする?と目で聞く。もし、このきつねが生きていれば1メートル20センチはありそうだ。一応、マフラーに作ってあるが置物にもなりそうだし、ウォッカの勢いで買うことを決め、あとの二万を船に取りに行った。自分の手にしてみると色はロシアンセーブルといったミンクに似て、毛並みはなんともいえない暖かみがあり、日本に帰ったら、これにつりあいの取れるコートを買わなければならないと思った。貨物船も去り、当分、あんなに物資の豊富な船にはお目にかかれないと思いながら、日本人のいる船と出会う日を待った。インスタントラーメンが無性に食べたくなった。荷物がかさばると思い、マルタイの棒ラーメンしか持ち込んでいなかったし、とうに食べつくしていた。(以下次号)

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