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作り手のハートの入ったおいしいものをいつも、求めています。
玄人の技術には感心しますが
半人前の努力も魅力の一つと思っています。

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2008年11月

2008年11月30日 (日)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!!)は実証できたか?その17

 ある日、ターニャが部屋を訪れ、今度、自分の誕生パーティーをしたいので「酒」を売って欲しいと言ってきた。「何本と聞くと?・スコーリカ?」と聞くと一本で良いというので、誕生日プレゼントにと「ウイスキーの角瓶」を進呈、是非、招待すると笑顔で帰っていった。何日かして、通訳のセルゲを通してターニャからパーティーへのお誘いがあった。パーティー会場になったのはコンパニオンたちの船室で4人の女の子が生活をしている。その周りの男連中も加わり、鍵を閉めてから「乾杯・ダバイチェ!」が始まり、色んな人が出たり入ったり、普段は女の人のいる棟には無断で入ることは禁じられているので女子寮に来た気分で楽しい。ターニャに気のある経理の男の子がシャンパンを持ち込んできたが彼はシャイなのでうつむいて飲み会には参加しない。(暗いやつ!)と思われているのか、それ以上はターニャも構うことなく、「乾杯・ダバイチェ!」を続けていた。色白のルーダが腰が立たなくなり、介抱する傍ら、結びのチャイ(紅茶)でパーティーはお開きとなった。その朝、ターニャは飲みすぎで仕事を遅刻し、日本人のいた棟の担当から、工場の棟に配置換えになった。(以下次号)

2008年11月29日 (土)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その16

 ちなみに、ロシア人のランバダについてはブラジル人のような腰ふり、セクシーではなく、もっと、シャイで足を軽く膝に入れる程度です。国土が広いせいか、流行が伝わる方法はテレビがポピュラーで、もともと、共産圏であるので日本放送協会並の健全さがあります。船上生活では3週間遅れ以上のテレビ放送をビデオで見るのでバラエティーが中心で歌番組は人気がありました。メディアを牛耳っているのはモスクワ中心のエリートですから、伝統を取り入れるのも忘れず、白クマの気ぐるみがアイドルだったり、楽しかったです。一般の乗組員でもビートルズを歌えたり、みんなで歌えるカチューシャなどはなくてはならない、コミュ二ケーションのアイテムでした。ロシア語のバラードで「嘘」という歌がありましたが旋律はフランスのシャンソンのようで情感たっぷりでした。1992年のことなので「加藤登紀子」さんの歌を知っている人が沢山いました。特に日本名「百万本のバラ」をロシア語でよく、歌ってもらいました。「チテリミリオン・アーリンフロース」?って歌ってくれたと思います。(以下次号へ)

2008年11月28日 (金)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その16

 パーティーはサーシャの悪酔いのダンスによって、終焉を迎え、日本人I氏の40歳の誕生日を祝うことが出来た。船上生活の楽しみ方は色々あるが本来、「飲酒」は禁止なので、公的なダンスパーティーは素面で行う。男の日というのがあり、古くは軍人の日だったらしい。パーティーを抜けだして、自分たちの部屋に帰り、鍵を閉めてから、密造酒を飲む。黒パンを発酵させたもので濾過すると、50°位の強い酒になるが「濾過」の前なら、お目こぼしがあるのでポピュラーな酒だ。みんなでまわし飲みするのが流儀らしい。日本でいえば、「どぶろく」のような味で甘みがあって飲みやすい。しかし、調子に乗って、四杯飲んだ時点で私は潰れ、スタニスラッグの部屋を出ると、介抱されるまま、ラチ―フの部屋で寝てしまった。翌日、寝ボケて、ラチ―フになぜ、私の部屋にいるのかと聞くと「俺の部屋だ・ヤ、カユータ」と目が怒っていた。なお、「濾過」した酒を持っていると下船させられるので要注意だ。(以下次号)

2008年11月27日 (木)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その15

 スペアリブは特に好評で「日本の食べ物か?」と聞かれたがアメリカの物と答えておいた。その他、小さいおにぎりなど興味を示し、「これは寿司か?」と尋ねられた。やっぱり、寿司は世界に誇る日本食と改めて思った。食とは関係ないが1992年当時、彼らの思い込みに「ブルース・リー」は日本人であると定義されていた。まさかの「忍者」の存在も現存と思われている。忍法を継承されている方はいると思うがこれらは、船で週に一回行われる古い映画上映の影響もあるみたいだ。「グリーン・ホーネット」という映画で「ブルース・リー」は日本人の役だし、ハリウッドの三流映画ではスパイとして、忍者が登場していた。アクション物は人気があったし、私のチームにはトルコ人で極真空手を習っている若者もいた。日本人は柔道など武道が出来ると思われているのもなぜか?当り前のように浸透していた。パーティーはダンスが付き物だがちゃんと、カセットデッキが用意されていて、ロシア風のランバダで盛り上がった。(当時、ロシアではブラジルのランバダが流行していたのだ。)以下次号へ

2008年11月26日 (水)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その15

 ナターリャの手腕で会議室を借りることが出来、普段は「飲酒」を認められていないのに酒は日本人が出すことで大目にみてくれることになった。ナターリャに呼ばれて、甲板の上に行くと豚が湯気を出してあおむけに縛られていた。豚の顔が笑っているように見えたのが少し、不気味だったがもう、息が切れていて、ナターリャの子分?の髭のサーシャにどこの部位が欲しいか聞かれ、心臓と胸の肉を骨ごともらい、心臓をソテーに骨付きのロースをスペアリブにすることにした。他の日本人二人は「肉じゃが」に挑戦。日本食が恋しいのは自分も同じだ。しかし、I氏から肉じゃが不味くて食べられないとの報告、味見をしたところ、血抜きをしてないせいか、獣臭くて、とても、食べられそうにない。せっかくのじゃがいも、にんじん、たまねぎ、やっぱり、カレーでしょ!と持参していたカレー粉をかばんから取り出して、味付けをすると獣臭さが抑えられて、おいしいカレー汁の出来上がりだ。
(以下次号)

2008年11月24日 (月)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その15

 ナターリャは小柄の美人さんだが歳は私より上かも、年齢は聞けないが彼氏は「アレキサンダー=サーシャ」胸にバタフライの入れ墨のあるイケメンだ。きっと、ナターリャのほうが年上だと思う。この船には犬を飼っている乗組員が何人もいるがナターリャはシェパードを飼っていて、この船では唯一の大型犬だ。食事会はチーフオフィサーのニコライの部屋で行われた。ニコライの部屋にはトイレと浴槽があり、船においてはすごい贅沢な待遇といえる。私たちの使用する共同トイレには便座がなく、男の大はもちろん、女の小に関してもトイレの上に跨るしかないし、とにかく、汚いのが難点だ。掃除をしても管が細いせいかすぐにあふれるし、タイルにはそのものがへばりついてることは当たり前だった。まだ、お互いにけん制しあう飲み会なのでしっくりいかないが日本人のI氏の誕生日が近いこともあり、パーティーを開くが決定。船に8頭飼っている「豚」を一頭、潰して祝いに花を添えることとなった。ナターリャは船長より権限のあることをまだ、知る由もなかった。日本風にいえば、影の船長といえた。(以下次号へ)

2008年11月23日 (日)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その15

 カユータコンパニオンの仕事は午後6時に終わる。私たちの船室に7時集合にしターニャとルーダ、二人の女性と私たち4人との6人でのチャイが始まった。もちろん、通訳のセルゲもメンバーに入っている。通訳入りなので話がはずみ、酒も入り、他愛のない話で盛り上がる。ターニャはウラジオストックの郵便局で働いていたそうだが、給料が安いの今回、同席したルーダの誘いで船の仕事に入ったそうだ。歳はターニャ22歳、ルーダ24歳。色白の美人で楽しい時間を過ごすことが出来た。ターニャ達の仕事は朝、早いので2時間ほどでお開きとなり、今度はターニャ達の部屋に遊びに行く約束をした。このあと、i氏のルートで英語の出来るロシア人の「ナターリャ」と知り合いになり、「ナターリャ」の持っている物資に驚かされた。チーズやらソーセージやら、今度はこちらの持っているビールで食事会を開くことになった。(以下次号)

2008年11月22日 (土)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その14

 会話の基本は挨拶からと「ドーブル・ウートラ=おはよう」でターニャとのコンタクトが始まる。「カーク・どう?」「カーク?どうって?」「ズダロウェ=健康?」「ダー=はい」てな風に単語を並べていく。「ドーブル」とは「心地よい」という意味で午前中は「ドーブル・ジェーン」午後はドーブル・ビーチラ」深夜は「ドーブル・ノーチ」でロシア語が詩情豊かな挨拶であるのに関心した。自分のチームのメンバーにも積極的に話しかけて、発音の練習をしていく。「ハロ―シ=良い」「プローホ=悪い」助子の選別も迷いがあってはいけない。グレードの良い製品を作れば、みんなの収入が上がっていくのだから。ターニャと少しづつ、会話?が出来るようになり、仕事が終わったら、チャイ=お茶をする約束も出来た。乗船して間もないターニャは船の男連中も注目しているようだったし、彼女とあからさまに付き合うのも避けたほうが得策と考えたが「グループ交際」ならとほかの日本人も誘ってチャイを敢行した。(以下次号)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その13

 カユータコンパニオンのターニャが私たちの棟の掃除担当になり、朝、五時からトイレ掃除をしている。そのあと、廊下や公共施設が終わると各、船室の掃除に入る。もちろん、船長の部屋が最初であとは我々、下々まで、なんとかターニャと、会話がしたくて、ロシア語の猛勉強が始まった。仕事が終わると寝る前の2時間連続してロシア語の単語を頭に入れていく。相変わらず、通訳のセルゲはI氏専属であったし、自分の言葉で選別作業を教えなければならないことも拍車をかけた。ロシア語の猛勉強はラチ―フも手伝ってくれて、相手が理解しようとするやさしさも上達の要因だと思う。朝、五時に起きればターニャとは二人きりで話すことができるので寝る前に台本を準備して会話に備えた。たとえば、スパコイ、プローホ(夜、よく眠れない)と話すと理解してくれて、大きい巻き貝をもって来て、耳に当てるとよく、眠れると渡してくれた。ヒューヒューと海風の音?が聞こえた。(以下次号

2008年11月21日 (金)

ロシア母船 シャルバ1992-フク―スナ(おいしい!)は実証できたか?その12

 通訳より、朝食は一等食堂で取るように告げられ、ぬるいボルシチと冷えた肉のソテーがお決まりの毎日が始まった。食事というのは環境によって左右されるのが実感。船長の顔を見ながらはやっぱり、まずく感じる。きっと、温かければもっと、いけるのにと思ったし、実際、2等食堂のほうが厨房に近いせいか、温かいのだ。きっと、立て社会への反発か?支配層の食事には心がコモっていないと思った。最近、クルバノフとの関係が円滑になり、クルバノフは私を「イノウ」と呼び、私もスタ二スラッグに習って、クルバノフを「ラチ―フ」と名前で呼ぶことにした。ロシア語の会話表で少しづつ、意志の疎通も出来てきた。いつものようにベルトコンベアーの前で助子の検品をしていたところへ、機械の保全を担当する責任者のアクショノが意味不明の剣幕でロシア語で私をまくし立てて来た。一方的でこちらは言葉もわからないので返しようもなく、私はアクショノを睨むだけ。そこへ誰かがラチ―フを呼んできて、アクショノと対決してくれた。最期にアクショノは私に握手を求めて、バツ悪そうに帰っていった。内容的には助子を選別することの無意味さをアクショノが指摘してきたのだ。彼らロシア人にとって助子は助子であり、食べるとしてもペースト状にしてしか食べない。だから、サイズ分けなど納得できないらしい、結局、「イノウ」は日本向けの助子を作りにきているのであり、それによって助子が高く売れることを「ラチ―フ」がアクショノを諭したのだ。

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